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日本のニュース専門まとめ。アジアをとやかく言う前にまずは日本やろ。

風習

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https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1672791119/

1: ターキッシュアンゴラ(東京都) [DE] 2023/01/04(水) 09:11:59.46 ID:xVO06As10 BE:306759112-BRZ(11000)
海外「日本は他のアジアとは違う」 なぜ日本だけが『旧正月』をお祝いしないのか議論に
https://www.quora.com/Why-did-Japan-abandon-the-lunar-calendar

【なんで東アジアで日本だけが本来の伝統のはずの「旧正月」を祝わないの?】の続きを読む

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http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1614424561/

1: ボラえもん ★ 2021/02/27(土) 20:16:01.50 ID:uCBw1pKq9
社員や部下をまとめあげるには、どうすればいいのか。
年商10億円の企業を経営する事業家bot氏は「会社員のほとんどは凡人であり、実際の会社経営では理想的な組織論は通用しない。
毎日同じ時間に出社するなど、あたりまえのことを社員に浸透させるためには、一見バカバカしい朝礼を実施することが効果的だ」という――。

■「個々人が主体性を持って動く組織」は参考になるのか

 社員や部下をどうまとめあげればいいのか。経営者や管理職は常に悩んでいる。経営者の端くれである私も、「いいやり方はないか」といつも探し回っている。

 そうした組織経営での最近の話題書といえば、2018年に出版された『ティール組織 マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現』(英治出版)だろう。

 『ティール組織』の要旨は、「組織の目的のために共鳴しながら活動する組織が理想の組織」
「ティール組織ではマネージャーやリーダー、上司や部下といった役割が存在しない」というものである。

 具体的には、組織の進化過程を、Red(個人による支配的なマネジメント)→Amber(役割をまっとうする)→Orange(成果主義で、成果に応じ役割が変わる)→Green(主体性と多様性が認められる)→Teal(組織が一つの生命体のようにはたらく)という順に定義し、Tealを理想とするというものである。

 確かに、ティール組織のような、個々人が主体性に基づいて動きながら、組織の大目標に向かって調和して動いていける組織体は理想だろう。
しかし、実際の企業経営で、本当に参考になるものなのだろうか。

■習慣と制約をつくるのがマネジメントの役割

 私は起業し、ここ5年で会社をゼロから年商10億以上、数十名規模まで拡大した。
創業当初は、「個々人が有機的に働く組織」まさにティール型のような組織を理想と思っていたが、現実と理想の間でだんだんと判断を現実側に倒していった。

 その中で、かつて「バカバカしい風習だな」と思っていたことを、逆に導入する側に回ることが何度もあった。その中で代表的なものが「朝礼」だ。

 会社が小さいときは、そもそも黙っていてもやる気があるから創業期に参画したわけで、働くことが好きなメンバーが集っている。
また、残業したくないとか、朝早く来るのは嫌だとか、そういう細かい話をするメンバーはいないし、そうじゃないと会社は大きくならない。

 しかし、事業を拡大するにあたり、どうしても「松竹梅」の「梅」の層を活用しないと、手が回らなくなってくる。
そのとき、「梅」のメンバーをマネジメントする方法として、「朝礼」「日報」のような一見バカバカしい手段に着地するのである。

■面倒な「朝礼と日報」は馬鹿にできない

 自分で会社の経営を始めると、「朝決まった時間にオフィスに来る」という当たり前のことが、まったく当たり前ではないことに気付かされる。

 そうはいっても自分もかつては遅刻ばかりの人間だったので、そういう人の振舞いを批判する資格は全く無いが、
「ただ人間が集まっているだけ」の組織は、ティール組織でいう「Red(個人による支配的なマネジメント)」にも到達せず、ただの人だかりでしかないのである。

 起業をするということ、経営をするということは仕組みをゼロから作るということである。

 多くのメンバーが「当たり前のこと」ができない。その現実があるのなら、「朝決まった時間に集まり、今日の予定を話す」「業務が終了したら、今日やったことを報告する」という同調圧力と監視の仕組みを導入するしかないのだ。

(以下略、全文はソースにて)
https://news.yahoo.co.jp/articles/0e40842aaa7049fdea2fe9792f8ea79676c36f3d?page=1

【【社会】ほぼ全員がムダと思っている「朝礼」を、日本企業がやり続ける本当の理由】の続きを読む

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https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1599900767/

1: 記憶たどり。 ★ 2020/09/12(土) 17:52:47.19 ID:qDd7hscO9
https://this.kiji.is/677436088241276001?c=39550187727945729

タカラジェンヌを養成する宝塚音楽学校で、指導の名目で先輩が後輩に課していた、
阪急電車への一礼や、大声であいさつをするなどの伝統的な作法を廃止していたことが12日、
同校への取材で分かった。

 宝塚音楽学校は2年制で、1学年に40人が在籍。上級生は「本科生」、下級生は「予科生」と呼ばれている。廃止されたのは、指導の名目で上級生が予科生の後輩に課していた“伝統的な作法”。具体的には、「先輩が利用する阪急電車へのあいさつ」「先輩への返事は『はい』か『いいえ』などの言葉の限定」「ルール違反した予科生が先輩に謝る時には、ほかの予科生も違反を自主申告して一緒に謝るという“連続謝り”」などだ。

この不文律について、『ABEMAヒルズ』では元タカラジェンヌで男役だった彩羽真矢(あやはね・まや)さんに話を聞いた。阪急電車へのあいさつは彩羽さんも日課だったという。

 「間違いなくありました。ただ、決まりが結構変わっていて、昔は遠くでチラッと見える阪急電車に対しても必ずお辞儀をしていたと聞いていたんですけど、私たちの時代は駅のホームに限り挨拶をしていました」

 また、先輩の前では表情も決まっているという。それを「予科顔」と呼ぶそうだ。

「先輩の前で感情を表さないという意味で行われてきたことだと思うんですけど、舞台に上がると役にならなきゃいけない。役者は私情を舞台に持ち込まないというのが基本的なことなので、私の時代は特に口角を下げるとか眉間にしわを寄せるとかはしないで、とにかくポーカーフェイス。笑っても、口角を上げても下げてもよくなくて、無表情。これです」

 こうした決まりは厳しかったというが、すべて納得して受け入れていたという。

 「若かったらからというのもあるかもしれないですけど、宝塚音楽学校は厳しいところだと知った上で、先輩方に教えられることは全部ちゃんと受け止めて行っていたので。“何でこんなことをしないといけないんだろう”とは思わずに、教えられたことをきっちりやってきたイメージです」

 また朝日新聞によると、朝の校内掃除が日課という宝塚音楽学校では、各予科生に掃除場所が割り当てられ、前の年の担当者が1対1で掃除の方法から生活態度まで指導し、上級生へノートを提出する習慣があったが、それらを廃止して校内掃除はグループで担当する方法に変更したという。

【【ヅカ】宝塚音楽学校で伝統的「作法」を廃止。先輩が後輩に課していた阪急電車への一礼や、大声での挨拶など】の続きを読む

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1: 記憶たどり。 ★ 2019/11/16(土) 17:05:41.97 ID:b7V0FNdZ9
https://www.dailyshincho.jp/article/2019/11151100/?all=1

初詣などで神社に参拝するときは、「二礼二拍手一礼」が一般的な作法として知られる。
この作法をイラスト入りで紹介している神社も少なくない。だが、宗教学者の島田裕巳氏によれば、
これは伝統的な作法ではないというのだ。

神社巡りといえば、高齢者の老後の楽しみと言われものだが、最近は、30~40代の女性の参拝者が目立つようになった。
神主から朱印と墨書をいただく、いわゆる「御朱印ガール」と呼ばれている人たちだ。彼女たちは、参拝する際は
「二礼二拍手一礼」を頑なに守っているが、

「彼女たちより年輩の人たちから見れば、この作法に違和感を覚える人もいるはずです」

と語るのは、先日、『神社で拍手を打つな!』(中公新書ラクレ)を出版した島田氏である。
同書では、神社の参拝作法や除夜の鐘、初詣など、日本人のしきたりについて解説している。

「昭和の時代は、二礼二拍手一礼はそれほど広まってはいませんでした。以前の参拝作法は、基本的には、
両掌を顔や胸の前で合わせて拝む合掌でした。今でも、合掌して参拝する人もいます。
二礼二拍手一礼だと、形式だけで終わってしまう。心の中で祈る間が、この作法は含まれていない。
だから、物足らないと思っている人は多いのではないでしょうか」

島田氏は、最も美しい形の参拝として、黒澤明の映画『姿三四郎』(1943年)のワンシーンをあげる。

「三四郎は、村井半助という他の流派の年配の柔道家と対戦しますが、試合前に近くの神社を通りかかったとき、
半助の娘が、神社の拝殿の前で一心に祈りを捧げている姿を目撃します。娘は着物姿で、下駄を履き、からだをその上に沈め、
目をつぶりながら手を合わせ、懸命に祈っていました。映画の舞台は明治時代ですが、当時、神社に参拝するときは
合掌したことがうかがえます。映画を見ればわかりますが、この祈りの姿は美しいですね」

合掌が伝統的な作法

「元々神道には、開祖も教祖もいません。教えを記した教典もありません。ですから参拝の作法もありません。
そのため明治以前は、神道と仏教が密接な関係を結びます。仏教には教えの体系があるので、仏教の理論を応用し、
融合したのが神仏習合です。明治維新になるまで、神仏習合は千年間続きます。仏閣での参拝には、拍手がありません。
基本的に合掌となります。それが神社に受け継がれてきたわけですね。実際、江戸時代の1763年に、芙蓉山人(ふようさんじん)
という人物が出した、伊勢詣のガイドブックのような書物『伊勢参宮細見大全』では、参拝者の様子が描かれています。
参拝者は座り込み、合掌して拝んでいます。頭を垂れて、一心に拝んでいる人もいます。拍手を打っているような人間は一人もいません」

昔の人たちは神に祈る場合、座り込むか、それに近い形をとっていたわけだ。

「現在の二礼二拍手一礼は、立って行います。果たして神に祈るとき、立って礼拝するというのは正しいのだろうか。疑問に思いますね」

奈良時代から始まった神仏習合、当初は仏教が主で、神道は従だった。

「神仏習合の理論の代表的なものが、“本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)”です。日本の神々は、仏がその姿を仮に現わしたという考え方で、
仏が本地(本来の境地)で、神が垂迹(仏の化身)です。仏を神の上に位置づけたわけです」

ところが、江戸時代になると、神道の優位を説く思想が起こり、明治時代になると、神道を国家の基本に据えようする国学者や神道家が現れる。

「これで、神仏分離となり、神社の境内にあった寺院は破壊されます。いわゆる廃仏毀釈です。千年も一緒だった神道と仏教が
バラバラになってしまったわけですが、これが問題だったと思います」

神社への参拝で、拍手が正式に取り入れられたのは、明治時代だという。

【【嘘の伝統】神社で「二礼二拍手一礼」は伝統的な作法ではない。宗教学者が教える“しきたり”の嘘】の続きを読む

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https://hebi.5ch.net/test/read.cgi/news4vip/1557993747/

1: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2019/05/16(木) 17:02:27.953 ID:0d41svECp
コーラは骨が溶ける

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