Moe Japan News@もえじゃぱ

日本のニュース専門まとめ。アジアをとやかく言う前にまずは日本やろ。

日本軍

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1: 樽悶 ★ 2024/08/13(火) 23:59:24.44 ID:sNABzlE89

 最後まで開戦に反対し続け、昭和18年、前線視察の際ブーゲンビル島の上空で戦死した山本五十六。日本人はなぜ悲運の名将に惹かれるのか。ここでは『 昭和の名将と愚将 』(文春新書)より一部抜粋。その理由を半藤一利、保坂正康のふたりが解き明かす。

■なぜ日本人は山本が好きなのか

保阪 しかし、これだけ、戦後、山本五十六が有名になったのも、ヒーローとして語られていくうちにいろんな逸話が神話化されていったからだと思うんです。実際にリアルタイムでの山本の評価というのは、どんなものだったんでしょうか。

半藤 真珠湾攻撃の時点では、国民はそれほど知らなかったはずですよ。大戦果の発表後に「連合艦隊司令長官は山本五十六大将なり」とラジオで聞いた覚えがある。

保阪 すると、その頃から山本の名前が国民に浸透していくわけですね。

半藤 国民レベルでいえば、稀代の名将ですよ。何せ、ミッドウェー海戦だって負けてないですから。ガダルカナルだって転進と言ってごまかされた。

保阪 そうやって国民レベルでは伏せられていたわけですね。

半藤 後に言われる山本と天皇がツーカーだったというのも作り話のようですね。12月1日に御前会議で開戦が決まり、3日に山本が呉から上京してくるんですが、このときの「小倉庫次侍従日記」によれば、山本の拝謁は、10時45分からの5分間だけです。これでは肝心なことは何も伝えられませんよ。

保阪 しかし、真珠湾攻撃のあとしばらくは、天皇が勅語を出しつづけますよね。そのなかでも連合艦隊に対しては、特によく出しています。だから、天皇が山本を信頼していた様子はあるように思いますが……。

半藤 これは、推定の域を出ませんが、もし、天皇が山本を信頼していたとすれば、それは、昭和14年に米内光政、山本、井上成美のトリオが三国同盟を潰したというのが非常に印象に残っていたんだと思います。この三国同盟が一度立ち消えになったことを、天皇は非常に評価しています。

保阪 ひいては、現在における山本の評価にも結びついていますよね。やはり、アメリカの国力を把握した上で、対米戦を避けようとしたという点が大きい。彼は、大正14年にアメリカに駐在武官として赴いたときに、その工業力に圧倒されて、こんな国と戦争するべきではないと言ったそうですね。

(省略)

半藤 山本さんの悲劇は、自分の反対する戦争の陣頭に立たねばならなかったことです。ですから、早期終結のために真珠湾攻撃をあえて言えば失敗を覚悟して考えたのです。

保阪 でも、これだけ中枢部に反対派がいて、連合艦隊長官の作戦が採用されたというのも不思議な話ですよね。

半藤 それも山本の悲劇で、瓢箪から駒で、どうせ軍令部が反対しているからつぶれると思っていた。9月の図上演習の段階ではまだまだもめている。それで、10月に東條内閣が成立したのと同じ頃に、やっと承認される。そうなると軍令部が命令書を出して一気に準備が始まる。

保阪 海軍は以前からアメリカを仮想敵国にしていましたが、それは、南洋での戦闘を考えていたんですよね?

■山本五十六に日本人が感情移入しやすい理由

半藤 そうです。最初はフィリピンの北方あたりで、大海戦をやるつもりだったんです。それが、船や飛行機の性能があがったため、マリアナ沖で決戦するという想定になった。いずれにしても迎え撃つ作戦で、積極的攻勢作戦ではありませんでした。

保阪 日本では、真珠湾まで乗り込んで叩くという発想自体が、開戦半年前までまったくなかった。黒島の案を採用した山本が、博打好きといわれる所以ですね。

半藤 日本の艦隊は近海での戦闘しか想定していないから、航続距離もそんなに長くない。とりあえず出撃してきた敵艦隊をバーンと日本の近海で叩いて一気に講和に持ち込もうと。

保阪 しかし、緒戦の勝利でそのまま戦い続け、分水嶺となったミッドウェーでも結局失敗して責任を取れないまま死んでしまった。途中で死んでしまったというのも、また日本人にとって感情移入しやすいんでしょうね。

半藤 山本が死んだとき、新橋の元芸者さんで恋人だった河合千代子さんという人がいるんですが、この人が山本五十六が書いたラブレターを持っていたんです。海軍省はこれは表に出してはならないということで、沼津にいた千代子のところへ行って、強制的に焼かせたんですが、とくによい手紙は無事だった。千代子が隠したんですね。(以下ソース)

8/10(土) 6:12配信

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https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1715737889/
1: @おっさん友の会 ★ 2024/05/15(水) 10:51:29.47 ID:F3MMYlqB9
三井不動産の「ららぽーと」も地元市民に背を向けられている。

 一年の中で最も消費が活発になるシーズンといわれる断食明けのハリラヤ。筆者はハリラヤ目前の3月の土日に「三井ショッピングパーク・ららぽーとブキビンタン・シティーセンター」を訪れた。来店客は少なく、テナントも歯抜け状態だった。

フードコートは実に27店中11店舗が営業していない。食べることに目がないマレーシア人。ショッピングモールのフードコートは集客の心臓部に匹敵するが、「ららぽーと」のフードコートは、ショッピングフロアと同じく、指で数えられるほどの利用者しかない。イスとテーブルは自習室や打ち合わせ場所代わりに使われていた(同日、別のローカル資本のショッピングモールはどこも大盛況だった)。

この「ららぽーと」が開業したのは2022年1月。店舗面積約8万2600平方メートル、全体敷地面積は約7万8500平方メートルの大規模プロジェクトだ。

 この広大な土地には、かつて刑務所があった。1895年に建てられたプドゥ刑務所の跡地に日本企業が進出してきたことは、マレーシアでも大きく注目された。

マレーシアのSNSでは「売り場の家具の扉が勝手に開くのを目撃した」「このプロジェクトに携わったエンジニアが超常現象を見た」などと騒がれた。筆者が乗った華人のタクシー運転手は「ららぽーとには絶対に行かない」と言い切っていた。

 そこまで極端に嫌われるのは、第2次世界大戦中、日本軍がプドゥ刑務所を捕虜収容所として使い、連合軍や地元市民の多くが拷問を受け、斬首されたという歴史があるからだ。

日本軍はとりわけ現地の華人を「敵の中国を財政的に支援した」という疑いをかけ殺害した。マレーシアの大学で教壇に立つ日本人研究者は次のようにコメントする。

「負の歴史遺産をどう継承するかが課題となる中、マレーシア側がプドゥ刑務所を解体し、再開発したがっていた可能性も推察されます」

東南アジアでの日本軍の足跡について調査活動をする大東文化大学名誉教授の田中寛氏は、「加害側よりも被害側の記憶ははるかに鮮烈で、特にアジアでの戦争の歴史は、向き合い方次第でビジネスに大きく影響します」と語る。


続きはYahooニュース
2024/05/15 9:06

【旧日本軍の捕虜収容所を解体して作られたマレーシアの三井ららぽーと、地元住民からそっぽ向かれる】の続きを読む

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https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1597374885/

1: ramune ★ 2020/08/14(金) 12:14:45.54 ID:zaEc8sVy9
1939年、旧日本軍が旧ソ連・モンゴル軍と戦って敗れた国境紛争「ノモンハン事件」で、 
戦地を無断撤退した責任を問われ自決に追い込まれた旧陸軍の指揮官が、
「戦病死」として処理されていたことが、遺族が開示請求した公文書で分かった。
軍上層部が虚偽の報告をしたとみられ、遺族は「敗戦の責任を押しつけた上に事実を隠蔽[いんぺい]した」と疑念を深めている。

 指揮官は兵庫県出身の井置栄一騎兵中佐(享年45)。熊本で編成された第23師団の捜索隊長として、
激戦地の一つ「フイ高地」の現地部隊を指揮した。
旧防衛庁が編さんした公刊戦史「戦史叢[そう]書 関東軍1」(69年)は、敵軍の猛攻により壊滅的な状況に陥る中で「独断守地を撤した」責任を取り、
「自決の道を選んだ」と記述。自決は日ソが停戦協定を結んだ39年9月15日の2日後とされる。中佐は上層部から自決を勧告されたともいわれる。

 遺族には翌月、陸軍から中佐の死を知らせる電報が届いたが、死因は書かれていなかった。
孫に当たる高木佐織さん(53)=横浜市=が昨年秋、国立公文書館に恩給関連の資料開示を求めたところ、戦病死となっていた。

(中略)
置中佐の自決を巡っては、自決勧告の中心人物とされる小松原道太郎・第23師団長が
「戦病死(進級せしめず)として関東軍経由陸軍大臣に報告す」と日記に書き残していたことが
これまでの研究で明らかになっており、日記の内容が裏付けられた。

 ノモンハン事件に詳しい防衛省戦史研究センター所員の齋藤達志さん(56)は
「小松原師団長は敗因が井置中佐の無断撤退にあると思い込み、自決に追い込んだ。
自らの責任を回避しつつ、井置家の名誉も保とうとした結果が『戦病死』だったのだろう」と推察する。
記録によって病名が異なる理由は分からないという。

祖父に責任を押し付け、死因まで偽って終わりというのは、やはり納得がいかない」。
ノモンハン事件で自決した旧陸軍の井置栄一中佐。孫の高木佐織さん(53)=横浜市=は、事件から80年以上もの間、真相を追求してきた父や祖母の思いを代弁する。

 生存兵の証言などによると、第23師団所属の井置部隊は旧ソ連軍に包囲されて食糧や水、弾薬が尽き、師団との通信も途絶えて孤立無援状態に。
中佐は苦悩の末、「無為に全滅するより再起を」と戦線離脱に踏み切ったが、これが「無断撤退」の罪に問われた。

 「上層部には敗北の責任を誰かに負わせる必要があった。自ら自決したのではないと妻も思ったはずだ」と上村さん。
井置中佐と共に戦った元連隊長が戦後、23師団長ら2人を名指しし「責任転嫁の意図でご主人らに自決を強いた」と告発した妻宛ての手紙も上村さんの手元にある。

 高木さんの父で中佐の次男井置正道さん(89)=神戸市=は、「戦病死」の処理に「やはり軍は自決の強要を隠すつもりだったのか」と憤っているという。

 ノモンハン事件は、最高統帥機関・大本営の戦線不拡大方針を関東軍の参謀らが無視して大規模な武力衝突に発展。
甘い見通しで立てた作戦で日本兵1万8千~2万人の死傷者を出したが、責任を取らされたのは井置中佐ら前線の指揮官たちだった。
参謀らは後に大本営参謀に就き、太平洋戦争に突入した。

「無謀な戦争に突き進んだのは、ノモンハンの失敗の検証や反省をしなかったからだ。
権力者が下の人間に責任を押しつけ、問題をうやむやにする構図は森友・加計問題と同じ。
国家の隠蔽[いんぺい]体質は変わっていない」と高木さん。

「祖父の死に対して謝罪や訂正を求めたいが、今となっては相手もいない」と、割り切れない思いもにじませた。(川崎浩平)

全文
https://news.yahoo.co.jp/articles/6cfb90920890eb4a7e103b8a63640760a6069c92?page=1

■参考
>ノモンハン事件 日中戦争中の1939年5~9月、旧満州(現在の中国東北部)と旧ソ連の衛星国だったモンゴルの国境地帯に広がる大草原で起きた国境紛争。
>旧日本軍は高地を中心に塹壕(ざんごう)を張り巡らせ、戦車に旧式銃や火炎瓶で立ち向かうなどしたが、
>旧ソ連軍の大攻勢により最前線部隊が次々に壊滅した。
>日ソ両政府は9月15日に停戦協定を結び、ほぼソ連側の主張通りに国境線が確定した。
>防衛省戦史研究センターによると、死傷者は旧日本軍1万8千~2万人、旧ソ連軍約2万5千人。

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https://hebi.5ch.net/test/read.cgi/news4vip/1592963979/

1: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2020/06/24(水) 10:59:39.146 ID:mjN/rphZa
「日本兵の方が恐ろしかった」 教育の重要性強調―語り部の89歳大城さん・沖縄

https://www.jiji.com/sp/article?k=2020062300727&g=soc

2: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2020/06/24(水) 10:59:53.835 ID:mjN/rphZa
太平洋戦争末期、激戦地となった沖縄県糸満市。住民の多くは「ガマ」と呼ばれる洞窟内に逃げ込んだが、追い込まれた日本兵が住民を追い出し、殺害することもあった。語り部を続ける大城藤六さん(89)は「米兵より日本兵の方が恐ろしかった」と振り返り、戦争の真実を伝える教育の重要性を強調する。<下へ続く>

 1945年5月、「鉄の暴風」と呼ばれた米軍の砲撃が激しさを増す中、同市真栄平に住んでいた大城さんは親族27人や同じ集落の住民とともに大洞窟「アバタガマ」に避難していた。しかし、撤退してくる友軍を迎えるためとして、日本兵からガマを出るよう求められた。軍刀をガチャガチャと鳴らし、威圧的に迫る将校が怖かった。

【【沖縄戦】語り部「ガマ(洞窟内)に逃げ込んだ住人を日本軍は追い出し殺害することもあった」】の続きを読む

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1: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2019/08/03(土) 16:35:06.674 ID:ItZBcUNe0
そもそも日本陸軍は外征用の軍隊じゃないから兵站能力がはなからないんだぞ。

【日本陸軍は兵站を軽視した←これ 】の続きを読む

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