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日本のニュース専門まとめ。アジアをとやかく言う前にまずは日本やろ。

沖縄戦

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https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1747484476/

1: シネココックス(千葉県) [CN] 2025/05/17(土) 21:21:16.12 ID:ikTiwJBB0● BE:662593167-2BP(2000)
https://news.yahoo.co.jp/articles/9993a578be9649db32809508023982c4b1a71d11

中山義隆石垣市長は16日に市役所であった定例記者懇談会で、ひめゆりの塔や沖縄戦に関し国会議員による事実誤認や史実に基づかない発言が続いている件を問われ、明確な批判を避けた。その上で「集団自決」(強制集団死)は「全て日本軍が強いたものではない」として、「自分から死にたいから手榴弾を下さいと言った人もいるだろう」と述べた。沖縄の教育については「偏向に近い教育」だと述べた。

 中山市長は「(日本軍が)自決に関与したのも事実だ」と認めた上で、「必ずしも全て日本軍が虐殺、集団自決を強いたということではない」とした。沖縄戦の「極限状態では、人間は必ずしも正しい判断をするとは限らない。婦女はみんな暴行される、そのあと殴り殺されるよということを教えられたら、そういうことになりたくないから、『手榴弾下さい』と言った人もいるだろう」と述べた。

 記者から「住民自ら死を選んだということか」と問われると「(日本軍の)強制性が全くなかったということではない。強制した人もいたかもしれない」とした。その上で「いろんな局面があるから一つの面だけで日本軍に虐殺されたという話ではない」とし、住民自ら手榴弾を手にした人もいるだろうとの見解を重ねて示した。

 自民党の西田昌司参院議員と参政党の神谷宗幣代表による一連の発言を明確に批判しない理由については「マスコミでしか見ていない」「前後の経緯も知らず、何の意図をもってそういう話をしたかもわからない」とした。その流れで「実際、僕らは沖縄で偏向に近い教育を受けてきた」と、沖縄の戦後教育を批判。小中高校を通して一部教員を除き「君が代歌うなとか、日の丸に敬意を表するな」という教育だったとした。市長は「そういう教育」を受けてきたから、大学の入学式で国歌斉唱の際「沖縄のアイデンティティー」として、自身は起立しなかったと説明した。

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https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1746336912/

1: 少考さん ★ 2025/05/04(日) 14:35:12.26 ID:GT9OKocn9

ひめゆりの塔の展示は「ひどい。歴史の書き換えだ」自民・西田参院議員が発言 憤る平和祈念資料館長「沖縄戦体験者の思いを踏みにじる」 | 沖縄タイムス+プラス

2025年5月4日 6:33

 神道政治連盟県本部と県神社庁、日本会議県本部でつくる実行委員会は憲法記念日の3日、那覇市内でシンポジウムを開いた。自民党の西田昌司参院議員が講演し、過去に見学した糸満市のひめゆりの塔の展示内容を挙げ「ひどい。歴史の書き換えだ」と述べた。

 西田氏は戦後の教育は間違っており「でたらめだ」と主張。「何十年か前にひめゆりの塔を訪れ説明を読んだが、日本軍が入ってきてひめゆり(学徒)隊が死んだ。そして米国が入ってきて沖縄が解放されたとの文脈で書かれていた」と話した。

 その上で、旧日本軍を念頭に「亡くなった方は救われない。歴史を書き換えられるとこういうことになってしまう」と発言した。

 また、「沖縄の地上戦の解釈はかなりむちゃくちゃな教育になっている」とも言及。「自分たちが納得できる歴史をつくらないといけない」と訴えた。

 シンポは党県連が共催。1部は故安倍晋三元首相の顕彰祭を開き、2部では西田氏と国場幸之助氏(自民)が講演した。(政経部・又吉俊充)

西田議員の発言要旨はこちら
ひめゆりの塔展示を「歴史の書き換え」と発言 西田参院議員の発言要旨

■西田議員が発言した記述、実際にはなし

 自民党の西田昌司参院議員が過去に訪れたひめゆりの塔の展示を「歴史の書き換えだ」などと発言したことに、ひめゆり平和祈念資料館の普天間朝佳館長は「沖縄戦体験者の思いを踏みにじる発言だ」と憤った。

 普天間さんによると、塔や資料館には西田議員が発言したような記述はないという。普天間さんは「資料館の展示は体験者の話がベース。沖縄戦を体験した県民や、ひめゆり学徒隊の過酷な体験を否定する発言だ」と語気を強めた。

 戦後80年が近づき、沖縄戦体験者は減り、風化も叫ばれる。普天間さんは「私たちにとっては踏ん張りどころ。戦争は絶対に起こしてはならない。体験者から渡されたバトンをしっかりと次の世代につないでいきたい」と強調した。(社会部・滝口信之)


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https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1743055620/

1: Ikhtiandr ★ 2025/03/27(木) 15:07:00.36 ID:OygEnHIr9 BE:456446275-2BP(1000)

 豊見城市の旧海軍司令部壕の売店で、大日本帝国海軍のシンボルマークをモチーフにしたグッズや、海軍沖縄方面根拠地隊の大田実司令官が残した「沖縄県民斯ク戦ヘリ」の言葉をプリントしたオリジナルTシャツなど、戦争賛美と取られかねない商品が販売されていたことが26日までに分かった。

【写真複数】異様?オリオンTシャツと軍賛美グッズが並ぶ

 同施設を運営する県の外郭団体・沖縄観光コンベンションビューロー(OCVB)が考案し販売していた。OCVBは県民から意見が寄せられたことなどを受け「不適切だった。真摯(しんし)に受け止めたい」として、26日に関連商品をすべて撤去した。

 OCVBによると県民から「平和の重要性や犠牲者への敬意を持つべき場所で、非常に不快。平和学習の場としてこのような認識でいいのか」といった意見が寄せられていたという。

Yahoo!Japan/琉球新報 3/27(木) 11:11配信

【【社会】沖縄の旧海軍壕で「戦争賛美」グッズ販売 OCVBが考案・販売 指摘受け撤去】の続きを読む

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https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1719130888/

1: BFU ★ 2024/06/23(日) 17:21:28.65 ID:B82Ctkyd9

太平洋戦争末期の沖縄戦で、最後まで激戦が続いた沖縄県糸満市。23日の沖縄慰霊の日を前に、同市の仲間進栄さん(88)が79年前を振り返り、「日本兵に何度も脅された」と語った

1945年4月、米軍が沖縄本島に上陸。仲間さんの母や妹らは本島北部へと避難した。仲間さんは当時9歳。祖父母と共に最南端の糸満市に残ったが、戦火を避けるため、家を出て近くの斜面に横穴を掘ってつくった「ガマ」で生活するようになった

そんな生活が続いたある日、日本兵がガマに入ってきた。「出て行け。ここは私たちが使う」。銃を構えて言い放ち、仲間さんらを追い出した。

 住むところを失った仲間さんらが再びガマをつくると、別の日本兵が「ここは危ない。別のガマに逃げた方がいい」と言ってきた。言葉に従ってガマを出た後、様子を見に戻ると、複数の日本兵が中で談笑していた。

 日本兵にガマを追われたのはこれに限らない。戦況が厳しくなると、沖縄本島南部に逃げ込む日本兵が増え、何度も脅され、だまされた。最後は海辺の鍾乳洞に逃げ込んだという。

ある夜、鍾乳洞の外で激しい爆発音がした。外に出てみると、すぐそばに迫った米戦艦が近くに潜む日本兵を攻撃していた。

 ふんどしを白旗代わりにして降参しよう。そう思った矢先、日本兵が「自決しよう。捕まったらひどいことをされるぞ」と銃を渡してきた。信用できるか―。何度もだまされた仲間さんらは制止を振り切って白旗を掲げ、米軍に保護されたという。


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https://hebi.5ch.net/test/read.cgi/news4vip/1592963979/

1: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2020/06/24(水) 10:59:39.146 ID:mjN/rphZa
「日本兵の方が恐ろしかった」 教育の重要性強調―語り部の89歳大城さん・沖縄

https://www.jiji.com/sp/article?k=2020062300727&g=soc

2: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2020/06/24(水) 10:59:53.835 ID:mjN/rphZa
太平洋戦争末期、激戦地となった沖縄県糸満市。住民の多くは「ガマ」と呼ばれる洞窟内に逃げ込んだが、追い込まれた日本兵が住民を追い出し、殺害することもあった。語り部を続ける大城藤六さん(89)は「米兵より日本兵の方が恐ろしかった」と振り返り、戦争の真実を伝える教育の重要性を強調する。<下へ続く>

 1945年5月、「鉄の暴風」と呼ばれた米軍の砲撃が激しさを増す中、同市真栄平に住んでいた大城さんは親族27人や同じ集落の住民とともに大洞窟「アバタガマ」に避難していた。しかし、撤退してくる友軍を迎えるためとして、日本兵からガマを出るよう求められた。軍刀をガチャガチャと鳴らし、威圧的に迫る将校が怖かった。

【【沖縄戦】語り部「ガマ(洞窟内)に逃げ込んだ住人を日本軍は追い出し殺害することもあった」】の続きを読む

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