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特攻隊

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1: 樽悶 ★ 2025/08/15(金) 20:07:50.23 ID:yM6MXHld9

「特攻の父」と呼ばれた大西瀧治郎(1940年ごろ)

 太平洋戦争末期に日本軍が編成した神風特別攻撃隊(特攻隊)は、搭乗員が航空機ごと艦船に体当たりした部隊の総称で、日本側だけで約4千人が戦死したとされる。作戦の生みの親とされ「特攻の父」とも呼ばれた海軍の大西瀧治郎中将は兵庫県丹波市青垣町出身だ。終戦直前まで作戦と戦争の継続を訴え、玉音放送翌日の1945年8月16日、隊員と遺族に謝罪の遺書を残して割腹自殺した。特攻隊や大西の人生からどのような教訓を読み取ることができるのか。戦史や近現代史に詳しい40代の2人に聞いた。(井原尚基)

■体当たり攻撃指揮、終戦翌日に割腹自殺

 姫路海軍航空隊の特攻隊「白鷺(はくろ)隊」の63人が21機で飛び立った鶉野(うずらの)飛行場(加西市鶉野町)跡にある平和学習施設「soraかさい」で今月上旬、終戦がテーマの特別展が開かれた。

 展示パネルを執筆した「鶉野平和祈念の碑苑保存会」メンバーの会社員渡辺真一さん(41)=加古川市=は、戦史好きが高じて大西や特攻隊に興味を持つようになった。

 渡辺さんは、捕虜になるくらいなら死ぬべきだという行動規範「生きて虜囚(りょしゅう)の辱めを受けず」が支配していた旧日本軍内で、特攻を始める前の大西が「捕虜になっても生きて戻ってこい」と部下に指導したエピソードに着目し、「大西は本質的には合理的な考え方ができる人だった」とみる。

■「あと2千万人の特攻隊を」無謀な主張

 しかし大西は終戦直前、「あと2千万人の特攻隊を出せば必ず勝てる」と主張し、ポツダム宣言受け入れに反対を貫いた。渡辺さんは、権力を持つ指導者が極限状態の中で無謀な主張をするようになる恐ろしさを実感したという。

 同施設には、太平洋戦争で用いられた戦闘機「紫電改」の実物大模型がある。渡辺さんは「『かっこいい』という第一印象から興味を持ってもらってもいいので、人が次々と死ななければならない戦争の不条理を知ってほしい」と願う。

■戦死者の死因、最多は餓死、病死

 近現代史研究者で「大本営発表」などの著書がある京都大客員准教授の辻田真佐憲(まさのり)さん(40)は、生還できる可能性がない特攻隊員の悲劇性や、壮絶な割腹を遂げた大西の最期を例に「人々の心に入り込みやすいエピソードは別の事実を覆い隠すことがある」と警鐘を鳴らす。

 辻田さんによると、戦時中、特攻隊員の活躍は大本営発表などとして新聞やラジオで大きく取り上げられた。44年11月には、特攻隊を賛美する軍歌も作られた。

 だが、太平洋戦争で亡くなった軍人や軍属約230万人の死因で最も多かったのは、食料不足による餓死やマラリアなどによる病死だった。辻田さんは「体当たり攻撃は人々を感動させ、人々の共感を呼びにくい餓死や戦病死の存在を巧みに消し去った」と指摘する。

 その特攻隊を指揮した大西は「多くの若者の命を失わせた張本人」と批判される場合も多いが、辻田さんは「当時の海軍で航空部門の責任者になれば、大西でなくても作戦を指揮する立場にならざるを得なかった」と指摘。「敵国の戦意を失わせ、少しでも和平交渉で譲歩を引きだそうとして特攻の継続を主張し続けたのなら、大西の考え方は当時としては合理的だったかもしれない」と話す。

 辻田さんは「特攻隊員の精神性を過度に褒めたたえることも、戦争を継続させた大西らは愚かだったと切り捨ててしまうことも、安易に行うべきではない」と主張。「歴史を学ぶ際は、感動や紋切り型の結論で満足せず、一歩引いて全体像をつかもうとする姿勢が大切だ」と訴えている。


【おおにし・たきじろう】1891(明治24)年、現在の丹波市青垣町西芦田生まれ。旧制柏原中学校(現柏原高校)を経て海軍兵学校卒業。海軍では主に航空畑を歩み、1944(昭和19)年10月、第一航空艦隊司令長官として神風特別攻撃隊を指揮。45年8月15日の終戦は軍令部次長として迎える。翌16日未明、東京都渋谷区の官舎で割腹自殺し、54歳で死去した。(以下ソース)

8/13(水) 8:30配信

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1: 煮卵 ★ 2025/06/21(土) 09:15:33.84 ID:mLvQizj29
 太平洋戦争末期、日本軍は爆弾を積んだ戦闘機で敵の艦船に突撃を試み、多くの若者が犠牲になった。特攻隊員は、ヒロポン(覚醒剤)を打って基地を飛び立った。新潟市の元海軍軍医蒲原宏さん=3月に101歳で死去=は、覚醒剤と知らずに約200人に注射し続けた。生前の取材に「とんでもないことをした」と語り、晩年まで後悔の念は消えなかった。

 1941年、新潟医科大(現新潟大医学部)に入学。講義打ち切り後、軍医学校で学び、45年2月、鹿児島県の海軍航空隊串良基地に配属された。

 同年3月の沖縄戦開始後、戦況が悪化する中、上官に「目が覚める薬」と言われ、特攻隊員への注射を指示された。長さ約3センチの茶色いアンプルに入った透明の液体が何か分からなかったが、指示通り敗戦まで打ち続けた。

 特攻直前の隊員は、無口で目がぎょろぎょろしていた。死を覚悟し、諦めたようだった。「軍医さんはいいですね。死ななくていいんだもん」と言われたこともあった。前線に出ない蒲原さんは、返す言葉がなかった。

[共同通信]
2025/6/21(土) 6:47

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1: それでも動く名無し 警備員 2024/08/18(日) 01:48:20.71 ID:AmWlj3vH0
自由に書けなかった手紙見て感動________________

【特攻隊員の遺書は感動的?→多くは検閲があって自由を奪われた状態で書かれたもの】の続きを読む

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1: ガーディス ★ 2020/10/18(日) 06:25:08.77 ID:XTioviwr9
 「これが貴様たちの棺桶(かんおけ)だ」。太平洋戦争末期、特攻兵器の人間魚雷「回天」搭乗員になった京都市北区の瀬川清さん(97)は、上官が回天を指さしつつ言い放った言葉に度肝を抜かれた。20歳で学徒出陣し、特攻隊員として終戦を迎えた。長女の小学校講師、松岡隆子さん(66)は、100歳を前に父の証言を後世に残すのは今しかないと考え、京都新聞社に瀬川さんの体験記を送ってくれた。

 体験記と瀬川さんの話によると、瀬川さんは関東大震災が起きた1923(大正12)年、中京区に生まれた。慶応大予科生だった43年秋に学徒出陣し、海兵団に入団。神奈川県の久里浜対潜学校に配属された。

 ある日、一室に集められた30~40人の若者に上官がこう告げた。「海軍で特殊兵器がつくられた。志願者を募りたいが、そう言うと全員志願するだろうからこちらで選ばせてもらう」。瀬川さんは特攻隊員に選ばれた。事実上の命令だったという。

 44年12月、回天特攻隊光基地(山口県)に入り、不気味な黒い鉄筒を初めて目にした。回天は海軍が戦局打開のため開発した特攻兵器で、出撃すれば死を避けられなかった。訓練も死と隣り合わせ。瀬川さんは、搭乗訓練中の誤操作が原因で潜望鏡を顔にめりこませて死んだ隊員の遺体を目撃した。戦友の中には、京都帝大を繰り上げ卒業して回天搭乗員になった後の新京都学派の哲学者、故上山春平さんもいた。上山さんも訓練中に遭難して窒息死寸前で救助された。

 「死を考えると不安になる。だから考えることを無意識に避けた」。学徒動員の隊員同士、気分転換で雑談していると「娑婆(しゃば)っ気が多すぎる」と怒鳴られた。仲間うちで平静を装っても、便所で一人になると涙をこらえ切れなかったという。

 45年春、大分県の大神(おおが)基地へ移った。途中で訓練所に寄り、ベニヤ板の粗末なボートで敵艦に突っ込む特攻兵器「震洋(しんよう)」を見せられた。「こんな物に頼らんとどうにもならんところまで来た」と実感した。

 回天の製造所が空襲で壊滅したため訓練艇が足りず、訓練は10~20日おきに減った。搭乗し、狭い操縦室に閉じ込められるたび恐怖で身震いした。潜望鏡に水がかかって前が見えず「これでは敵艦にたどり着けません」と上申した。上官は「相手はでかい。どてっ腹に当たればよい」とこともなげに言った。

 8月15日、出撃の機会を迎えることなく戦争が終わった。瀬川さんは特攻基地での経験を「一切忘れろ」と上官に命じられた。別の上官は手りゅう弾を抱いて自決した。隊は統制を失い、基地の物資を手当たり次第持ち出す者も現れた。

全文
https://news.yahoo.co.jp/articles/72d558f07a34781f7bbf0ad2168f9fb90e8f399c

【上官「これが貴様たちの棺桶だ」回天搭乗員、死の指令 過酷な訓練、97歳男性が証言】の続きを読む

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